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▼ドン底からはい上がる女の魔力、時にそれは世界をも動かす!伝説の女達の強気な生き様に学ぶ!

[ネタ]ビッチなファーストレディー列伝

Vol.27 楊貴妃…愛されすぎた傾国の美女

楊貴妃
ようきひ 皇妃 719年~756年7月15日 中国(唐)


楊貴妃。皇妃

Illustration sir.gock

愛されすぎた傾国の美女、楊貴妃

再婚相手は夫の父親
世界3代美女に数えられる楊貴妃。その名前をネットで検索すると、ソープ、デリヘルなどいくつかの風俗店が引っ掛かる。それほど妖艶なイメージだということか。実際彼女は、貞淑な美女というよりはグラマラスでセクシーな女性だったようだ。
地方官の娘に過ぎなかった楊貴妃だったが、その類い希な美しさが目に留まり、17歳で皇子の妻となる。さらに21歳のとき、夫の父である玄宗皇帝に気に入られ再婚。とはいえ皇帝が息子の嫁を横取りするのはさすがにまずいので、一旦出家して身を清め、玄宗の皇妃となった。

皇帝の溺愛は幸か不幸か
楊貴妃というと美貌の悪女というイメージがあるが、その人生を知るにつれ目につくのは、彼女より夫玄宗の女好き。最初のお気に入りは妓女(遊女)で、妻にして子供も作った。ほかにも後宮(日本の大奥)には数え切れないほどいて、子供は59人。楊貴妃が何人目の相手かはもはや掌握不可能である。
ともあれ、息子の嫁として出会って一目惚れ、有無を言わず自分のものとしてからの溺愛ぶりはすごかった。他の女がいくら気を引こうとしてもムダ。田舎出身の楊貴妃だったが、ビッチの性分は天性のものだったのかも知れない。

夫の命令による最後
しかしその溺愛ぶりが徒となった。玄宗は楊貴妃を喜ばすためにその親族を出世させたが、権力欲に溺れた楊一族を憎んだ玄宗の部下が反乱を起こしたのだ。これを安史の乱と言う。10年にも及ぶ内乱に発展し唐王朝の心肝を揺るがすことになった。絶世の美女を指して「傾城(けいせい)」「傾国(けいこく)」というのは、ここから来ている。
玄宗は部下に「楊貴妃を殺してください」と迫られた。反乱軍の気持ちを治め、国を治めるにはそれしかないと。彼はその忠言に従い、寵姫を絞首刑に処した。楊貴妃、37歳。彼女には、もとから選択肢がなかった。玄宗の愛は彼女が求めたものではなかったし、贅沢な生活も彼女の意思とは関係ないものだった。そして最後の玄宗の決断も、楊貴妃の意思とはまったく関係ない。貧しい家に生まれてから皇子、皇帝に愛され皇妃にまで登り詰めた激動の人生だった。最後の瞬間もまた、彼女はただ静かに運命を受け入れたのではないだろうか。

楊貴妃に学ぶ、女の魔力

美貌に甘んじない艶姿
玄宗と楊貴妃の年齢差は34歳。2人が出会ったとき玄宗はすでに56歳でした。女の目から見れば、恋の対象にするにはちょっと抵抗がある気がします。しかし一旦後宮に入ってしまった女(とその一族)が生きる道は、皇帝に気に入られ続けること。楊貴妃はそのことをよく知っていました。玄宗好みの美貌と知性に甘んじることなく、楽器や躍り、歌などの芸も磨き、芸術肌の玄宗好みの艶姿を見せたそうです。

貴妃の一言

「お願い、ライチが食べたいの」
病気で寝込んだときに玄宗に言った言葉。今でこそ一般的な果物となっているライチですが、当時の長安では何千キロも離れた場所から、鮮度を保つため大急ぎで取り寄せなければ行けない高級品でした。このためにコキ使われた人々はどんなに理不尽な思いをしたことか。愛する妃のためにどれほど人民が苦しみ公務が妨げられようと、玄宗は少しも気に留めませんでした。むしろ手を焼けば焼くほど愛おしくなる。ライチのおねだりは、そんな男心を逆手に取ったわがままだったかもしれません。

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ライター紹介

小菅由美子(こすげゆみこ)

小菅由美子(こすげゆみこ)

1977年6月15日愛知県生まれ、仕事は文章を書くこと、特技は泣くことと笑うことです。ご意見ご感想などいただけると、とてもうれしいです。

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